岡潔さんの言葉〜情緒について〜

以下は岡潔さん(話し手)と秋月康夫さん(聞き手)の2人の対談を記したものです。

 

記者:先生の授章の対象になりましたのは、多変数函数論でございますか?

岡:ええ、えー、つまり函数の理論のことなんです。難しかったんですね。それであんまりみんなやらなかった。

 

語り手(兼清麻美さん):岡潔は日本を代表する数学者です。多変数函数論の分野で長い間解くことが出来なかった難問を解決し、世界の数学者の注目を集めました。また、晩年は数々の著作を通じ、日本的情緒の大切さを訴え、その教育論が話題をよびました。

 

秋月:数学というのは知らない方に説明するのは非常に困る。

岡:本当に数学というのは自分でさえ分からんのだからって言うんですが。

秋月:まぁしかし、私が思うのは、やはり岡君が非常な名曲を作曲されていると思います。

岡:お思いになる分には勝手ですけどね(笑)。

秋月:音楽ですと、すぐにピアノがありバイオリンがあって、すぐにそれを弾いて誰もが分かるようになる。

岡:ええ、音楽はよろしいな。

秋月:数学はその音符だけがあって、それを読み取ることが出来る人しか分からない。そういうところだと思います。

岡:そうですね。

秋月:非常にこれ、どういうことをなさったのかということを説明するのが難しい。

岡:ええ、まぁどうにかこの始末におえない荒野をまぁやや開拓したというぐらいでしょうな。

 

語り手:岡は明治34年生まれ。少年時代は和歌山県の山村で過ごしました。岡家は代々旅籠を営む庄屋。子どものころからお金とは無縁であるようにと教えられ育ちました。第三高等学校を経て、京都大学に進みますが、そのころから浮世離れした人間性を発揮しています。

 

秋月:僕が三高時分で覚えている君っていうのは、とんきょうな声を上げて歌を歌っていたこと。

岡:ほんとうに‥(笑)、手ぬぐいを腰へぶら下げて、朴歯のゲタをはいて、そして寮歌なんか傍若無人に歌ってまわってた。で、ああいうふうなのでなんか、そう、モノの勢いというふうなものを覚えたんでしょうな。傍若無人に歌って歩くというふうなこと、時間をそういう時期をやった方がいいんじゃないでしょうか。

秋月:君の下宿を訪ねた時、ノックをしたら返事があった。入って見たらフトンが敷いてあった。しかし姿が見えない。どこかなっと思ったら押入れの中へ頭がいっておった。(笑笑)

岡:あそこ‥(思い出し笑う)、変なことばかり覚えてるな。‥研究が息詰まると寝ますね。自分が出来るはずのことはしつくしてあるし、そんな時期には寝るんですね。はは(笑)、そこをお目にかけたわけです。

 

語り手:昭和4年から3年間、岡はフランスに留学しました。そこで多変数函数論の分野で、3つの主要な問題が未解決で残されていることを知り、生涯のテーマとします。

 

岡:まぁ数学で前頭葉の働き、「感情・意欲・創造」と言われていますが、ちょうどこの、つくるという生み出すつくり出すという働き、あれ、このさっぱり分からないという意味で、いかにも不思議だという意味で、この、大きな海のように思うんですが、この渚のところは実質的にやるというふうなあるんですね。あるんだけどこの、沖へ出てしまうと、うーん、まるでその「潮の流れに操られてしまってる」っていうふうな、そこまで行くと、もう学問も芸術も区別がつかないんじゃないか。

秋月:しかし何かこう、君のやり方も、数学やってるのは芸術的であると思うけれども、また科学的であるという面もある。

岡:ええ、この、沖にこぎ出るこぎ出し方ですね。あれ、この、まぁ数学というものを分かるについては体系というものを分からすのが早い。その体系というものを会得するについては自分が自主的にやって会得してますね。やってるうちに出来ていってる、そう思うんですね。その意志体系をはじめ非常に使いますね。その船を操って、この、渚から沖へこぎ出すというふうな感じ。なによりもそこが芸術にはないんですね。この、数学という大河の流れがあってそれに同調するのでなければ意義のある仕事とは言えない。そこの所も芸術と違っているようですね。

 

語り手:フランスから帰国した岡は、大学に勤める傍ら、難問に挑みます。昭和10年、『上空移行の原理』という最初の大発見をしました。その後、研究に専念するため故郷にこもり、田畑や着物を売りながら、ひたすら難問に向き合います。そして、第二、第三の難問を解決。世界の数学者たちは、とても一人でやった仕事とは思えないと驚きました。その功績が認められ、昭和30年、文化勲章を授章します。

 

岡:数学上の発見には喜びが伴う。この問題は十中八九解けないだろう、よしやってやろうという気になる。そうするとほのぼのと面白くなる。やるのが面白いからやったのだし、やった後鋭い喜びが伴うから、それでなおさら喜んでやったのだし。

 

語り手:晩年の岡は奈良女子大学で教鞭をとる傍ら、教育についても積極的に発言しています。

『人の中心は情緒である 情緒には民族の違いによっていろいろな色調のものがある。たとえば春の野に さまざまな色どりの草花が あるようなものである』(岡潔著「春宵十話」)

岡は研究を進める中で、情緒の重要性に気づきました。重要な発見には、自然と人間が対立する西洋型の思考だけでなく、自然と一体となる東洋型の情想が必要だと考えたのです。

 

岡:日本人は、自然とか人の世とかを自分の心の中にあると思ってるらしい。自然や人の世が喜ぶと、自分が非常にうれしいと言うらしい。芭蕉や万葉を読んでみると、少しも自他対立してなくて、自分の心がそのまま外にうれしいというふうに詠んでる。

『うちなびき 春来たるらし 山の間の 木ぬれの桜 咲き行く見れば』って言ったんです。パ〜っと春が来ているが、それがすなわち自分の生命だっていうふうになってる。そう思って自分のやり方を見ると、数学を自分の心の中へ取り入れて、そしてその心の中で、その数学を見る。そうすると、心の中に入っている数学が、その一点に凝集して形を現してくるというふうになる。つまり、この、日本人はものを心の中に入れて、そしてその自分の心を見るっていうふうなことが非常に上手なのに、今の人はどうもこの内を見る眼っていうのがあんまり開いてないように思う。日本人の本来の心を思い出してもらいたいな。

 

語り手:数学をやるのには童心の世界でしなければいけない。孤高の境地に遊んだ岡潔の言葉です。

 

(やるのが面白いからやったのだし、やった後鋭い喜びが伴うから、それでなおさら喜んでやったのだし。)